うつ病からの脱出ー精神科は、やりたり放題! 1ー

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今日から精神科の実態について見ていきたいと思います。

著書『精神科は今日も、やりたい放題』から下記抜粋します。

精神医学はなぜ生まれたか?
 皆さんは精神医学の発祥がいつごろかご存知だろうか?
 精神という存在について考察してきた過去の偉人はたくさんいても、精神を医学と結びつける考えは近代まで存在しなかった。教科書的には1818年とされていて今から約200年前である。
 他の医学と比べて歴史が浅いのは、他の病気と違って精神の動向が個性や宗教、哲学と結びつけて考えられたからであり、「病気である」という認識が存在しなかったからに他ならない。
 その精神病者の処遇については、古代においても現代においても大きな違いはない。
 要するに大多数一般の目から見て異質であり、社会的に好ましくないものを規定し、隔離するというのが考え方の基本として存在してきた。その呼び名が狂人であったり変人であったり天才であったりしたものが、「精神病者」に変わったにすぎない。
 つまり精神医学であろうと心理学であろうと、その発祥と起源をたどれば優生学という概念にたどりつく。
 自分は「変」ではなく、他の人間は「変」である、なので「自分のほうが優れている」という考え方が根本にあり、逆に言えば「なぜ彼らは劣っているのか」ということを学問として規定したいがために発生したという点において、精神医学は他の医学とはまったく違う動機性を持っている。
 そしてすべては根本的に優生学の考え方をもとに進められてきた。精神医学のさまざまな歴史は歴史書に譲るが、それらの目的は人を救うという点ではなく、人を矯正、洗脳し、問題行動を示すすべてのものを排除しようとするものであった。
 そうやって精神医学はあらゆる問題に利用、応用されてきたのである。民族差別しかり、人種差別しかり、集落的差別しかり、政治犯や反逆者に対する扱いしかりである。
 それは現代精神医学においても変わらず、措置入院しかり、医療保護入院しかり、大量の薬物投与しかり、保護室による拘束しかり、電気けいれん療法しかり、患者会や家族会の構成しかりである。

非科学としての精神医学
 精神医学はその精神症状を「脳の異常」としてとらえようとするため、今ふうにいえば理系的に考えようとする分野であるらしい。
 それに対して心理学は脳というより「心理的動向」を基調として物事を考えていくため、ある意味文系的といえるらしい。
 脳や遺伝子という問題よりも、個性としてアプローチする心理学のほうが、一般人には受け入れられやすいのは事実だが、本来そのどちらかが優れているとかいう問題ではなく、双方の視点から人間の探求に向かうことがなければならない。
 しかし残念ながらその協調は、現代においてもほとんどみられないのが実情だ。
 そもそも「脳の異常」というが、精神医学においていまだに疾患の原因は科学的にわかっていない。薬物の効果についても同様である。
 今ある疾患理論、薬物理論というのはすべて2012年現在でも仮説である。証明されたり因果関係を導けるものが何一つないのだ。それはつまり精神医学、精神疾患のすべてが主観であり、医師の人格にゆだねられているという危うさの裏返しでもある。
 それにもかかわらずこの分野が、科学であるはずの「医学」として普及してきたことは、一種の驚きであるといえる。非常に非科学的なはずの精神医学が、あたかも科学的であるかのように扱われることによって、さまざまな被害の温床となってきたのである。

その日の気分で決まった「診断基準」
 科学といえないからこそ、精神科の診断基準はとてもいい加減である。
 たとえば「DSM」というアメリカの精神科診断基準に関しては、製薬会社と癒着の深い精神科医が、多数決やその日の気分で診断基準を決めた、というエピソードが残っているくらいである。「DSM」は現在まで第四版が発行されており、2013年に発表する第五版の編纂作業がアメリカ精神医学会によって進められている。
「DSM(第四版)」で編集の議長を務めたアレン・フランセス医学博士は、出版予定の「DSM(第五版)」について反省を込めて以下のように述べている。
「『DSM(第五版)』は(中略)とんでもない処方にもつながりかねない未検証の新た診断の導入である。こうしたレッテルを貼られた(しかも多くの場合、誤ったレッテルが貼られているのだが)子どもたちに、抗精神病薬が何らかの利益をもたらすという証拠は、どこにも存在しない。だからと言って、抗精神病薬が不必要かつ不用意に使われることはないのかと言えば、決してそうではない。それが大いに懸念される。
(中略)それは、いったん『DSM』の新しいカテゴリーとして公式なものにされてしまえば、あとは診断が独自の道を歩み始めるということである。そこに乱用される可能性がある限り(可能性があるのは明らかである)、それは乱用されるものである。つけ込む隙が少しでもあれば、そこに抗精神病薬の過剰使用が知らぬ間にこっそりと割り込んでくる。それは経験から明らかである」
 こんな癒着の深い精神科業界であるから、当然製薬会社と精神医療が儲かるように診断基準を設定してきたのである。
 これが教科書であるのだからまっとうな医療など成立するはずがない。
 そしてそれ以上に恐ろしいエピソードとして、薬が先に開発されて、その薬を売るために都合のいい精神疾患が作りだされているという現実があるのだ。
 たとえば、社会不安障害、気分変調症、軽度・中度発達障害、大人の発達障害、現代のうつ病などはその典型であろう。

以上、抜粋終わり

精神医学の成り立ちですが、

残念ながら現在に至るまで、

まだ科学的根拠は解明されていません。

すべて仮設です。

仮設で治療を行っているのですから、

効果を期待するのには無理があるのではないでしょうか?

私は真実を伝えているつもりですが、

上記が本当かどうかはご自分でも調べて必ず確認してくださいね。

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